高岡市議会 2004-12-02 平成16年12月定例会(第2日目) 本文
これは御承知のとおり、高岡御車山は天正16年、豊臣秀吉が後陽成天皇と正親町上皇を聚楽第に迎え奉るときに使用したものでありまして、加賀藩初代藩主前田利家が秀吉より拝領し、二代目藩主利長が慶長14年に高岡城を築くに当たり町民に与えたのが始まりと伝えられております。京都祇園の祭礼に倣って鉾山に改造されておりますが、きょうに至るまで高岡の発展とともに継承されてきました。
これは御承知のとおり、高岡御車山は天正16年、豊臣秀吉が後陽成天皇と正親町上皇を聚楽第に迎え奉るときに使用したものでありまして、加賀藩初代藩主前田利家が秀吉より拝領し、二代目藩主利長が慶長14年に高岡城を築くに当たり町民に与えたのが始まりと伝えられております。京都祇園の祭礼に倣って鉾山に改造されておりますが、きょうに至るまで高岡の発展とともに継承されてきました。
高岡御車山は、豊臣秀吉が天正16年4月に、後陽成天皇と正親町上皇を京都聚楽第に御招待したときの山車を、秀吉の旧友であり、老臣であった初代加賀藩主前田利家が拝受し、さらにそれを新しくまちづくりをした高岡町民に与えられたものであります。高岡御車山はまさに桃山期の工芸文化と、日本の古代信仰の形式を備えた風格ある山車であります。